たとえば、俺が女だったとして。
たとえば、アンタが敵じゃなかったとして。
たとえば、この日の本から身分なんてモンがなくなったとして。
俺はもっと素直になれていたんだろうか。
「小十郎に預けてさっさと帰らねェってことは…アンタ自身の用事か?」
城の客間に通されていたのは、敵国の忍。
全身を隈なく覆う黒い甲冑に、迷彩柄の装束。
風を受けて後ろに流れたままのような、焦げた橙の髪。
いつもは、幸村の横で俺にヤジを飛ばすだけの鬱陶しい奴。
それが、黙って鉢金を畳に当てたまま動かねェ。
そりゃ、俺とコイツじゃ身分が違ェ。
面と向かって堂々と話できるモンでもねェ。
ウチの忍か小十郎に用事の書を預けて、とっとと帰るのが常だった。
ツラ合わせる時といえば、幸村や武田のオッサンについて来た時か。
よほどのことでもねェと、コイツは部屋の中には上がってこねェ。
それが、今日は一人で城に上がってきた上に、俺と面会しようってか。
余計な面倒ごとは御免被りたい。
「おい猿飛…何とか言え」
「ぉ、お願いがあって…参上した次第…」
「?」
コイツ、俺を殿様扱いしてねェモンだから、慣れねェ言葉遣いに噛んでやがる。
でも、こんなにしてまで俺と直接話したいことがあるってことだよな。
あの猿飛が俺に向かって深々と頭垂れるなんて。
「来い猿飛、高くツケとっからな」
一向に面を上げねェ猿飛に、ただならぬ雰囲気を感じた俺は、部屋に連れて帰ることにした。
「だ、旦那!!」
意外だとでも言いたそうな猿飛。
失敬な奴め。
「あ、有り難き幸せ!!!!!!」
忍が何か密告しようとしてるんだ。
俺は念のため人払いをして、完全に猿飛とサシになった。
「竜の旦那…ありがとう、話のわかる人でよかった」
「アンタにスイッチが入ってるかどうかぐらいわかるってんだ」
二人になっていつもの雰囲気になると、猿飛はホッとしたように畳に座り込んだ。
「はは…さすがお殿様だね」
俺はそんな猿飛の真意が掴めず、襖のそばに立ったまま奴を見下ろした。
様子がおかしい。
コイツ、いつも戦場以外で俺と顔合わせて、こんなに緊張感張ってることなんかねェもんな。
「…で?なんだ、頼みって」
そう促すと、猿飛の表情が急に険しくなる。
「とんでもないことを言ってる自覚はある」
「?」
「でも…他の誰にも頼めないんだ」
「だから何なんだ」
「俺様の話、最後まで聞いてね?途中で怒って斬りかからないでよ?」
「Sure、わかった…」
「ほんとに?」
「早くしろ」
少し苛立った俺に、猿飛は焦ったように言葉を続けた。
「俺様の情人を演じてほしいんだ」
Jesus…
重たい口が開いたかと思ったら、そんな言葉かよ。
武田のオッサンと幸村がお忍びで街へ繰り出したときのこと。
お忍びとはいえ、数人の部下と猿飛がこっそりついて行っていったらしい。
そこまでは普通だ。
その時に猿飛に声をかけてきた一人の男。
コイツが厄介モンだとか。
二泊する間、猿飛はその男にしつこく言い寄られたそうだ。
その男、男娼。
猿飛を武田の忍と気付かずに見初めてしまい、なんとか落とそうと粘ってたらしい。
不運なことにその男娼も甲賀の生まれらしく、多少の忍術の心得があったとか。
完全には逃げ切れないと判断した猿飛は、ある強行に出た。
「俺様、イイ人いるから」
それがアダになった。
そいつを連れてこい。
そいつとの仲を見せつけて納得させろ。
拒めば、最悪の結末も想像できる。
体を売る奴が本気になると本当に恐ろしい。
「その男娼、物凄く男前だったんだけど…俺様の恋人はもっとキレイだって…言っちゃって」
「ほぅ…」
「俺様、あの男よりキレイな男なんて上杉の旦那かアンタぐらいしか知らなくて…」
「なんで野郎限定なんだよ」
「だって、相手が女だったら俺様のこと奪う自信あるって言うんだよ?」
「上杉の旦那なんて、かすがに嫌われそうで手なんか出せないし、話したこともないし…」
「俺ならいいのかよ」
「真田の旦那との付き合いもあるし…わかってくれるかな、って」
「一国一城の主と一介の忍がデキてるって?誰がそんなモン信じるかよ」
「俺様だって身分はまだ隠してんの!!」
「Ha…付き合う義理もねェ」
「・・・・・・」
ずっと伏せられてた猿飛の視線が、そっと泳いだ。
「そうだよね…ごめん、俺様何か勘違いしちゃってたみたい」
重力などないかのように立ち上がり、中庭まで出て行った。
「この話、聞かなかったことにしてくれないかな…」
「?」
「もし俺様に何かあっても、真田の旦那や大将には黙っててほしいんだ」
たかだか10歩程度のその間。
アイツの後ろ姿に寒気がした。
何だかわからない、妙な胸騒ぎ。
「さ…「いやァ、忙しいところホントごめんね?!」
「え…」
「ほんじゃ、今後ともウチの旦那のことよろしくね!」
いつもの能面貼り付けて、猿飛は風に消えた。
その完璧な笑顔に、ねェはずの何かが痛んだような気がした。
「政宗様…真田が信玄公の書を持って参っております」
それは、猿飛の訪問からたった数日のことだった。
「政宗殿!ご無沙汰いたしております」
相変わらず元気だけが取り柄の暑苦しさ。
それでホッとするんだけどな。
「よォ幸村、武田のオッサンからの手紙だって?」
「はぃ…何やら神妙な面持ちで…」
「Ah…Partyでもおっ始めるってのか?」
同盟やら攻防云々にしちゃ、薄い書状。
久しぶりに鈍った体を動かせるのかと開いた手紙に、俺の期待は打ち砕かれた。
「オィ、真田幸村…いつここを発つ?」
「え、ぁ…いや、此度はこの為だけに参った故、早々に失礼させていただく所存で…」
「俺も一緒に甲斐へ行く」
「は?」
「俺もすぐに甲斐へ行く」
猿飛…
武田のオッサンはさすがだ。
佐助が妙な男娼に追われている。
なかなかの手練らしく、手こずっているようだ。
ただ、彼奴もワシや幸村に心配させまいと、必死で事を隠そうとしている。
先日おぬしのところにも相談に参ったのではないか?
おそらく無理な頼みを持ちかけたことと思うが、彼奴は一人で解決する気でいる。
男娼は添い遂げると決めたら最後、最悪の手段を使ってくるやもしれぬ。
普段あれだけおぬしを手荒に扱っている佐助のことだ、無礼は承知。
おぬしにしか頼めぬ。
貸しを作ると思って、助けてはくれまいか。
猿飛の野郎、隠し通してたつもりらしいが、てんでバレバレじゃねェか。
変なストーカーに悩んでることも、俺に相談に来たことも、一人で何とかしようとしてることも…
まったく、カッコ悪ィことこの上ねェ。
俺も俺だ。
そんなに気になるんなら、あの時少しでも話に付き合ってやればよかったんだ。
幸村が来たその足でついて行くなんて、気が気でねェって証拠じゃねェか。
だって、今までいがみ合ってたアイツと付き合ってるフリしろだなんて…
あんなふうに急に言われちゃ、懸命な判断もできなくなる。
でも、事は思いの外深刻みてェで。
下手すりゃ無理心中なんてオチも無きにしも非ず。
そんな…
幸村はどうなるんだよ。
幸村は…
保護者のアンタに何かあったら、きっとアイツそうとう落ち込むぜ?
アンタが育児放棄するとも思えねェけどよ。
別に武田がどうなろうと俺の知ったこっちゃねェ。
潰れようとどうしようと、敵が減って万々歳ってモンだ。
でもな…こんな潰れ方ねェんじゃねェか?
あんな、らしくねェ残り香置いて行っちまうなんてよ…